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空っぽの自分2 [コラム]

「私は生に執着しないタイプだと思う。まあそんなこと言って、いざ自分の身に何かあったらおたおたするかもしれないけどさー。」

そんなふうに、友達に軽口をたたいたことを思い出す。ふたを開けてみたら、自分でも呆れる泰然さに直面した。



帰国後すぐに、大きな病院で血液内科の先生に診てもらうと、
「リンパ腫の疑いがあります。早急に生検をしましょう。」
と端的に言われた。
私は、ちょっとだけドキッとした。
小学生の作文みたいに、「ドキッとした。」で表現できちゃうくらいの私の心の動き。嫌だとか怖い不安だとか、沸いてこないんだね、と自分に問う。

数日間の余裕があったから、仲の良い友人の中でも、会えそうな子にだけ連絡した。結果が結果だったら、今までみたいにバカ話して笑い合うことはできなくなるかもしれない。私が平気だって言っても、どうしたって相手は気を遣うようになるよな。それはさすがにちょっと寂しい。そう思っての行動だった。

久しぶりに会った友人のひとりは、「大丈夫?」と何度も聞いてくれた。
私は「大丈夫大丈夫~。しこりがある以外は、全然体調に変化ないんだよ~。」と答えた。
友人は会話の端々で、「大丈夫?」「大丈夫?」って繰り返し聞いてくれて、そのたびに同じような答えを返したけれど、後になって、精神面は大丈夫?っていう意味で聞いてくれてたんだ、と気づいた。


母には、「ちょっとした検査だから。ただ、気晴らしがしたい。」と伝えて、一緒に鎌倉に旅行にいった。久しぶりに大好きな母に会えて嬉しくて嬉しくて、東京駅で母を見送ったあと、寂しくてボロボロと泣いてしまった。いい年してお母さんと別れるのが悲しくて泣く癖に、自分が「終わる」かもしれないことではちっとも泣けないなんて、変なの。


義母はとても気落ちして、病院のことなどいろいろ計らってくれた。ありがたいことだけれど、私はこの期に及んで、自分の生死よりも、「健康な良い嫁でいられなかった。」なんて、人の評価を気にしてた。私はどれだけ、ちゃんと「自分の人生」を歩むことができていただろう。私は何にファーストプライオリティを置いて生きてきたんだろう。


   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆


全摘手術はあっという間に終わった。夫はこの世の終わりみたいな顔をしながらいつも付き添ってくれた。この人を置いていくのはまだ早いなぁと思いつつも、「お金や保険のこととかは、ファイルにまとめてあるからね。私の荷物の整理のためだけだったら、わざわざロンドンに戻らなくていいからね。」と大事なことだけ念を押した。


いよいよ検査結果の日。試験の合格発表みたいな緊張感はなかった。ただ、宙ぶらりんの状態から解放されたいって思っていた。

先生は、「結果ははっきりしないけれど、とりあえず悪性ではないようです。」と言った。

夫は胸をなでおろして、「今日は、世界で一番安心した日。」と言ってくれた。
私ももちろん、ほっとした。
それなのに。
それなのに、心のどこかで、
「あぁ、私、まだ歩まなくちゃいけないんだ。」
しんどそうに、そうつぶやく自分もいた。


私はいつも、「終わり」を見てる。
どんなに楽しい時間の中にいても、「終わり」がくるのを、どこかで待ってる。
まるで、今を生きるのを拒否してるみたいに。

死を意識しなければ、本当の意味で生きることはできないって言ったのは誰だったろう。

私にその言葉が当てはまるのかはわからないけれど、ちゃんと生きられずに、人生を終えるのは嫌だなぁと思う。

今はまだ、空っぽの自分。
いつか来るインサイトを待ちながら、マインドフルに、今を生きる練習を重ねていこう。
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