空っぽの自分 [コラム]
ロンドンに住んで10か月。雨がちなこの国で、瞑想ばっかり毎日やって、リトリートにもたくさん出かけた。
そんな折、突如頸部に2~3cmの腫瘤ができて、気持ち悪かったけれどそのうち治るかな、なんて放っておいた。あまつさえ、スコットランドまで飛んで、瞑想指導者の養成コースを受けていた。そのさなか、夫が突然連絡してきた。
「ごめん。このメッセージ見たら、すぐ電話ください。」
普段、こんな風に連絡してくる人じゃないから、何か大変なことがあったのだろうと、バクバクする胸を抑えるような気持ちですぐに電話をした。
「落ち着いて聞いてほしいんだけどね・・・。」
受話器から聞こえる声は深刻で、不安が高まる。お義母様の体調に変化があったのかしら。
「あのね、知り合いの血液内科の先生に聞いたら、その、・・・君の、しこり、ね。とても、悪いものかもしれない。一刻を争うから、すぐに帰ってきて。今すぐに、ロンドンに戻って来て。そしたらロンドンから日本行きのフライト、僕の方で取るから。」
言葉を慎重に選ぶように、それでいて少しまくしたてるように、夫が話すのを聞きながら、私は自分の鼓動が収まるのを感じた。そして、
“なーんだ、そんなこと。”
私は、自分の心が確かにそう言ったのを聞いた。
なーんだ、そんなこと。私が、「終わる」かもしれないなんて、そんなこと。
人のことだと慌てふためいてしまうのに、私は自分の生死に無頓着みたい。うすうす感じてはいたけれど。
「でも、瞑想教室もあと1~2日残ってるし・・・。」
夫の声は少し震えていて、それと対照的にのんきな自分の声が、間抜けに響いた。
「検査して、もし大丈夫だったら・・・っ、どんな埋め合わせでもするから。世界一周旅行でもなんでも連れていくから。とりあえず戻ってきて。手遅れになって、君がいなくなったら、僕どうやって生きていったらいいかわからないよ・・・!!!」
この感じ、もう戻るしかないな。私は抵抗を諦めて数時間後に出発するチケットを取った。スコットランドのインヴァネス空港に着いて、少し落ち着いたところで夫にメッセージした。
「私、何の病気かもしれないの?」
メッセージはすぐに既読になり、少し間をおいて、返信があった。
「その話は、会ってからの方が、良くないかな・・・。」
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
そんなわけで、あっという間にロンドンに引き戻された。頭の中では、「もー、しこりあるって言っても一週間もほっといたじゃん!急に慌てだして、なんなのこの人。」とか、「直前の片道航空券、高すぎ!」とか、深刻みのない不平不満。
近くのクリニックにかかると、ドクターは、少し顔を険しくし、「君としては、どんなことを予想しているの?」と聞いた。どんな疾患の可能性があるかを示すのはお医者さんの役目のひとつじゃないの、と私は心でつぶやきながら、「まぁ、その、癌・・・とか。」と答えた。ドクターは私の言葉を否定せず、険しい表情のまま、「うん、すぐにCTと血液検査をした方がいいですね。大きな病院を紹介しますから。」と言った。
翌日には羽田行きのANA機に乗っていた。「一人で平気だから。ちゃんと病院行けるから。」と言う私に、「僕の身にもなって。君が検査を受けている間、ひとりでイギリスで待っているなんて、想像しただけでおかしくなりそうだよ。」と言って譲らなかった夫と一緒に。
私はあきれるくらい冷静だった。そして、飛行機の窓から雲を眺めながら、何かやり残したことあるかな、と考えた。
・・・別に、ない。
せっかくイギリスにいたから、もうちょっといろんな地方に行きたかったな。なんて、それくらいしか思いつかなかったから、びっくりする。北欧クルーズしたい?オーロラが見たい?九州のななつ星に乗りたい?それとも、夫が提示してくれた世界一周旅行?いや、豪華旅行にも、とりたてて興味あるわけじゃない。どうしても見ておきたい風景は、これといってない。すっごく食べたいなんて物も、特にない。あの仕事がしたい、なんて「情熱」も「渇望」もない。
「死」に直面すると、大切なものが見えるものかと思ったけれど、私の場合、ただただ、空っぽの自分が見えただけだった。悔しさも無念さも葛藤もなくて、涙の一つも出なかった。空っぽの自分。それもまぁ、悪くない。眼下の雲を見ながら、そう思った。