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琴線 [コラム]

最近でこそ本をよく読むようになったが、ほんの少し前の私には読書の習慣がなかった。幼いころは読書家だったのに、小学校高学年くらいからか本から遠のいてしまったのだ。もしかしたら私は、心に触れる「琴線」というものが少なかったのかもしれない。それが少ない人間は、本なんか読んだって感動しないから面白いわけがない。

人は、一つ何かを経験して感じ取るごとに、一本の琴線を心に張る。
悲しいこと、嬉しいこと、悔しいこと。そういうものを感じ取るたびに、心の琴に、弾けばきれいな音を出す糸をぴんと張る。そして、他人とか著書とか、「自分ではないもの」に共感するやさしい感情をひとつずつ増やしていく。

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受け入れるということ [コラム]

東京駅で、目の見えないおばあさんと、その息子さんらしい方を見かけた。
おばあさんはお手洗いに入ろうとしていたのだけれど、どう歩いて行ったらいいかわからずに、入口近くで息子さんに「どうしたらいいの?」と聞く。息子さんは、女子トイレの近くにいることが恥ずかしいのか、「いいから、行け。」とおばあさんをせきたてた。

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メメント・モリ~私は、あきらめない。 [コラム]

 メメント・モリ(死を想え)。
 藤原新也氏の写真集のタイトルにもなっているこの言葉は、自分がいつか死ぬ存在であることを忘れるな、という警句だそうだ。死ぬ存在だから、「どうすべし」? ラテン語のこの言葉は、ある時代には「今を享楽的に生きるべし」と、また別の時代には「来世に目を向けるべし」と、全く異なる意味で使われてきたようだ。
 しかし、「今を享楽的に生きるべし」と言っては刹那に過ぎるし、「来世に目を向けるべし」と言っては今が疎かになってしまうように感じられる。語り継がれてきた言葉の背後には、私には推し量れない深遠さがあるのだろうけれど、どちらも何かを軽視しているようでなんだかしっくり来ない。

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嘘に支えられた真実たち [コラム]

 「神々の住む島」と呼ばれるバリ島を訪れたとき、その自然の、あまりにも「あるべき姿」に圧倒された。吸い込まれそうな青い空と、それに向かってぐんぐんと伸びる緑の木々。その色は、「青」や「緑」という理想に近すぎて、逆に偽物みたいだと思った。

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カタルシス [コラム]

包まれていないと、
保護されていないと、
守られていないと、

何度自分を否定してきたの

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今を生きる [コラム]

 「私たちは、生まれたときから死に向かっている。今日は、あなたの残りの人生の最初の日。胸を張って、『私は今日、生きたんだ』と言えるような毎日を送っていますか?」
 そんなメッセージを受け、一瞬胸に熱いものがこみ上げたけれど、そのうちに私はなんだか焦燥感に駆られた。「今」を生きなくちゃと、一生懸命何かに向かってがんばるほど、意識は未来に向いていくように思えた。輝く何かを捉えたいと理想を追い求めるほど、意識は「今」を通り越して、地に足が着かないほど先へ先へと進もうとする。

 ピーター・ウィアー監督の『いまを生きる』という映画を観た。今を生きろと示唆された、とある名門高校の青年は、自分が本当にやりたいことは演劇だと気づき、情熱を燃やした。彼は見事主役の座を勝ち取り、舞台に立ち、「今を生き」た。しかし悲劇的なことに、社会的地位に固執する父にその夢を否定され、自ら命を絶ってしまう。
 映画の解釈はさまざまだろうけれど、あの演じきった瞬間が文字通り彼の人生最後の「晴れ舞台」だったと捉えるには、あまりにも悲しすぎる。舞台の上では、彼は「今」を生きていた。しかし、命を絶つ決意をした青年の意識は、「今」ではなく、未来に向かっていたのではないだろうか。そして、彼の歩む先に「理想とする未来」がないことに絶望し、死を選んでしまった。「今」を生きようと必死になるあまりに、「今」を大切にしきれなかったなんて、切ないほどに皮肉だ。

 あんなことがしたい、ああいうふうになりたい。そんな理想を持って生きることはすばらしい。でも、ただ渇望するだけでなく、その過程も楽しみながら、今いる瞬間、瞬間を慈しみながら生きていくことも、とても大切なことだと思う。

 進むべき方向が見えないとつぶやく私に、友人は言った。
 「ばたばたせんと、今の場所にいたらええねん。」
 私は彼の言葉を半分だけ聞き入れ、目標のために「がんばる」のをちょっとだけやめようと思った。今日私を支えてくれた靴を磨き、いつも安心できる空間を提供してくれる自分の家の床をぴかぴかに拭いた。そして、丁寧にお茶を淹れて、ゆったりと観た映画が、『いまを生きる』だった。

 いまここのわたしへ。楽しみながら、今を生きながら、進んで行こう。




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出逢いと別れと [コラム]

 ここ最近、たくさんの出逢いに恵まれている。そして同時に、いくつかのさよならにも。誰かとの物理的距離が遠くなるときに感じる、あの切なさ、宙に浮いたような感覚。そういう心許なさを感じるたびに、あぁ、知らず知らずのうちに、自分は相手に依存してきたのだな、と思う。

 数年前、海外のとあるチベット民族の居住区を旅していたときのこと。親しくなった外国人の友人が、その地を去ることになった。バス停で見送りながら、「I will miss you.」と言ったら、「missだなんて言わないで。何かをmissするってことは、今を感じていないということだよ。いつでも、今を生きればいいんだ。」と、返された。「なんで? あなたとさよならするのが悲しいから、そう言ったんだよ。自然な感情だよ。」寂しさからくる不満にまかせて、私は友人に言葉をぶつけた。

 あのときは分からなかった友人の言葉の意味、今は分かるような気がする。missという単語の中にある、「何かを欠く」という意味。それは、「何かが足りない」という思いであり、「今ここ」を享受できていないということにほかならない。「miss」を感じているときは、足りない何かを探して心が未来や過去に馳せられ、「今」に立っていないということなのだから。

 I will miss you. と、友人に言ったあの時と同じように、私は今でもやっぱり誰かとさよならするときには寂しさを感じる。感情はコントロールし切れていないけれど、私は誰かを見送るとき、「I will miss you.」ではなく、「See you again!」と言うようになった。ありがとう。また会うときまで、元気でね。そういう思いを込めて。

 今足りないものにフォーカスするのではなく、今あるものに感謝しよう。人との出逢いにも感謝して、ひとつひとつを大切にしよう。訪れるたくさんの出逢いに、さよならがあるのだと考えると、やっぱり切ない気持ちが湧き出てしまうけれど、そのときは、その感情も「今」を構成するものなのだと、抱きしめてあげよう。いつか別れが訪れるかもしれないからこそ、出逢いはより貴重なものになる。あなたとの出逢いに、感謝します。ありがとう。

帰る場所 [コラム]

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 お盆に帰省した。私の帰属は、すっかり自分が今住む場所になってしまったように思うけれど、それでも実家は変わらず、私の「帰る」場所だと思う。父にお小遣いをもらうのではなく、あげるようになったり、車に乗せてもらうのではなく、自分が運転手になったりと、たくさんの変化はあるけれど、変わらないものってやっぱりあるのだ。童心に返るつもりなんてなかったけれど、子供のように母にぺったりとくっついて甘えたり、上映中のアニメ映画を観に行ったりしたのは、自分の中の変わらぬ部分を確認するためだったのかもしれない。

 母と日本地図のジグソーパズルをやりながら、ふと、幼い頃自分が社会科が苦手だったことを思い出す。なんでもできなければいけないのだと、自分を責め、苦しんでいたことを。当時の気持ちをなぞるかのように、私は知らず知らず、拗ねた子供みたいに口をとんがらせた。やりかけのパズルのピースを投げ出して、帰宅したばかりの父の下に行ったら、何も知らない父は、上機嫌で「お前もどうだ?」と、ビールと落花生を勧めてくれた。ビールの炭酸は、しゅわしゅわと喉をくすぐり、私の心をやわらかくした。私はすぐに機嫌を直し、父と笑いながら、日常の瑣末な話を始めた。

 つらかったのは、自分で自分を認めてあげることができなかったから。苦手なものなんてあったっていいんだよ。それも含めて、あなたの個性なんだから。幼い頃の自分に言い聞かせるかのように、心でつぶやく。どんな好き嫌いや得手不得手を持っていても、それらを無理に変えようとせず、まずは丸ごと認めてあげることが大切なんだ。こんがらがっていると、自分を大切にできない、人にやさしくできない。父と一緒に飲んだビールが美味しかった。そういう単純で心地良いことたちを感じながら、生きていけばいいんだ。

 私は、私を矯正する必要なんてない。ただ本当の自分に帰ればいい。私は私自身の中に、帰る場所を持っているんだから。もしも変わっていく部分があれば、変化を喜び、楽しみながら、それを自然に受け止めればいい。これからも私はどんどん変わっていくだろうけれど、帰る場所は、本当の自分は、きっと変わらない。

 帰省すると恒例の、夜の散歩に出かけた。月明かりだけだった実家の前の道に、ぽつんと街灯が出来ていた。「ここも、銀座並みになったぞ。」と父がおどけて言い、私はきゃはは、と声を上げて笑った。
「今度あのへんにな、大型ショッピングモールが出来るらしいぞ。」
父が指をさした。
「へぇ、あちこち出来るね、そういうの。」

 変わっていく、私の「帰る」場所。
 でも、ちっとも寂しくなんてない。
 だって、そこは私の帰る場所であり続けるから。そして、おいてけぼりにされるんじゃなくて、一緒に変わっていけると思うから。

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電車の親子 [コラム]

 電車で座っていたら、足をこつんと蹴られた。まどろんでいた私ははっと目を覚まし、ちょっと驚いて顔を上げた。そこには小学校中学年くらいの男の子が母親にまとわりつくように体を寄せて甘えていた。母親は、小さく「すみません。」と言ってお辞儀をし、「ほら、ちゃんと立って。」と男の子に言った。男の子はじっとしていられないのか、体をくねらせたり足をばたばたさせたりして落ち着かない。母親はそれを支えるように片手をつり革に、片手を男の子に回していた。お母さんと一緒のお出かけがうれしいのかな。はしゃぐ男の子の様子が微笑ましくて、思わず顔がほころんだ。

 そのうちに私の隣の席が空き、男の子はすぐさま勢いよくそこに座った。座席の上でも落ち着かず、体を揺らしている。母親はしきりに「手は膝。手は膝ね?」と言うが、男の子は知らん顔で、はしゃいだように暴れ回っていた。私が、
「ママとお出かけうれしいねぇ。どこに行くのかな?」
 と話しかけると、男の子はきょとんとした顔で私を見て、またすぐに同じような動きを始めた。不意に母親が、
「すみませんね、この子、普通の子じゃないものですから。言葉も全然わからないんですよ。」
 と言った。胸がぎゅっとなった。
 この人は、この台詞を、これまで何度、何人に言ってきただろう。


 ことあるごとに「普通の子じゃないものですから」と言って周囲に頭を下げてきたであろう母親の姿を思ったら、切なくて切なくて、涙がこぼれそうになった。それはなんて悲しい口癖だろう。そう思いかけて、すぐにその考えを捨てた。そうですよね、この子は、「普通の子」なんかじゃない。あなたにとって、何よりも大切で、特別な子、ですよね。心の中で、母親にそう返した。

 心や体に障害を持つ人々や、そういった家族を持つ人々の多くが、「生まれ変わっても同じ環境を選びたい」と言うのを聞いてきたことを思い出す。それはきっと、そこから大きな愛や学びや、言葉になんてしきれない大切な何かを得ているからだろう。本当に、私は日々、いろんな人にいろんなことを教えてもらっているな。電車を降りる親子を見送りながら、そう思った。ふと男の子の去った場所に手を置くと、そこはまだ温かくて、私はその座席をそっとなでながら、ありがとう、とつぶやいた。



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人生を信頼しよう [コラム]

 中学時代の同窓会に行ってきた。もともと人の顔と名前を覚えるのが苦手な私は、半分以上誰か分からなかったのだけれど、それでも相当楽しくて、当時を懐かしみ、いろんな人と話して笑ってはしゃいだ。卒業してずいぶん経つけれど、みんなそれぞれの人生をそれぞれに作っていて、そういうのが見られる同窓会っていいなって思った。

 中学時代。思春期まっただ中の苦しさを思い出す。自意識も過剰で、どうでもいいことに拘泥したり、人の目を過度に気にしたり。まさに、アイデンティティ確立の時期だったんだなぁ。ともあれ、ああいう辛い時期を通り越して、私は今、なんでもできるようになった。うん、なんでもできる。

「今、こういう仕事してるんですよ。」
 と言う私に、中学1年の時の担任は言った。
「そうか。お前、あの頃もそういう関係の仕事したいって言ってたもんなぁ。」
 えっ?! 言ったっけ? 私、そんなこと言ってたっけ?

 楽しい宴が終わり、家のジェットバスで体をほぐしていたそのとき、私ははっとした。思い出した! 私、言ってた! 「そんなこと」言ってたっけ! そっか、私、小さい頃の夢、実現させたんだ。すごい。夢ってやっぱり叶うんだ。誰かに握りつぶされそうになっても、ちゃんと叶うんだ。
 バスタブのお湯が共鳴するかのようにちゃぷん、と音を立てた。

 あれから私は中学を卒業し、高校に行って大学に行って留学して就職して転職した。いろんな国に行っていろんな人と出会って、いっぱい笑っていっぱい傷ついて、今の私がある。時は確実に流れていて、その中で何をやったかが自分を作る。そして、自分が核として抱き続けたものは、きっと形になる。

 20世紀を生きたオーストリアの精神科医、ヴィクトール・フランクルはこう言ったそうだ。
「人が人生に意味を問うのは無意味だ。人生こそが、人に答えを問うのだから。」
 私はまだまだ自分自身こどもだと思うけれど、それでも「大人」と呼ばれる年齢になってからは、いつも自分に起こることの意味を考えてきたような気がする。たとえ辛い出来事に遭遇しても、何のためにそれが起きたのか、そこから何を学べるのか、問い続けてきた気がする。「問う」って、誰に? きっと、自分自身にだ。そして、自分と向き合うごとに、人生から「成長」という素晴らしい贈り物をもらってきた。

 あることについて、ちょっと違うかもしれないと思っていたら、その話は立ち消えになったことを先ほど知った。あぁ、そういうふうにできているんだ。当たり前のことなんだ。私は何も心配しなくていい。人生を信頼しよう。取捨選択も大事だけれど、自分と向かい合って、きちんと自分を生きていれば、運命が大切なものだけをピックアップしてくれる。運命を信頼しよう。

 やりたいこと、全部やって、きちんと人生を締めくくりたい。
 この人生を、気持ちよく、卒業するために。

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流れ星 [コラム]

 金曜の夜。地下鉄の中で携帯メールを開きながら、「圏外」の表示をもどかしく思う。向かう先は、いつもの空間、いつものメンバー。ずっしりと重い本やパソコンを持っていても、心は軽い。それを象徴するかのように、買ったばかりの緑色のワンピースがふわりふわりと揺れる。

 駅まで迎えに来てくれた友人と歩きながら、とりとめもないことを話す。起こった問題の対処方法、そこから学んだこと、ストレスフリーな人生、ポジティブさの確認。そして、話題が「私たち幸運だね。これから、いっぱいいいことあるね」に及んだそのとき・・・・!!!

「・・・見た?」

「・・・見た。」

 すごい。見たこともないような、緑色の、大きな流れ星。澄んだ輝きを放って、「私たちの家」の方に向かってすーっと消えていった。
「すごいすごいすごいっ、何あれ、緑だった! 大きかった! びっくりした!」
「うんうん、今までの人生で、一番大きかった。」
 本当に、本当に、奇跡みたいな流れ星。引き寄せられたみたいにやって来た。
「緑って、一番好きな色。」
「私のワンピースも、緑だよ。なんか示唆的!」

 家でワインを飲みながら、こんなにもまっすぐで前向きで魂の美しい人といられることを、本当にありがたいと思った。そう言ったら、
「君もでしょ。」
 と切り替えされた。
 うん、とうなづいてから、私は言った。
「でもね、私、昔はすごく後ろ向きだったんだよ。どうしてか、全てに無理してるみたいで、生きてることがつらかった。」

 高校時代の会話を思い出す。
「私、すっごい後ろ向きなんだよね。ま、それでも人並みに走れてることがスゴイでしょ?後ろ向きで全力疾走だよ。」
 ちょっと厭世的に、尊大さを装って言う私に、後輩の男の子は言った。
「あはは!本当ですね。これがそのうち前向きになったら、もう誰にも追いつけないくらいのスピードになっちゃうんじゃないですか?」
「えっ? ないない! 私が前向きなんて、ありえないよ。後ろ向きでもっと早く走る方法、勉強するもん。」
 私は笑いながら、彼の言葉を否定するみたいにひらひらと手を振った。

 それでも、訪れたのだ。彼の言葉は予言だったかのように、前を向いて走るときはやってきた。
「大きくなったら、きっといいことある。」
 自分に言い聞かせてきた幼い日のあの言葉は、ただの慰めなんかじゃなかった。

ほろ酔い気分の中、空気のきりりとしたベランダで星を見上げる。
「流れ星、ミラクルだったね。」
「緑。グリーンライト。神様が、『Go!』って言ってるみたい。」
「・・・だね! 神様のゴーサイン、もらっちゃったね。」
 笑い声が向かいのビルに小さくこだました。

 神様が走れって言うのなら、行くしかないよね。きっと、なんでもできる。私のクラウチングスタートはずいぶん遅かったのかもしれないけれど、十分にかがんだ分、どれだけでも速く、どこまでも遠く、走っていける。

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人生は「引き算」? [コラム]

 時折、興味のあるテーマのセミナーに参加する。これまで「思い込み」とさえ気付いていなかった思い込みに気付かされたり、思いも寄らなかった考えを得たりするときの、「あっ」という感じが好きだ。今村洋一さんの著作『1日集中! 速読力トレーニング』(明日香出版社)を読んでいたら、以前今村さんの速読講座に参加させていただいたときの「あっ」というあの心地良い驚きの感覚がよみがえってきた。自分が知らず知らずのうちに抱いていた甘い幻想に気付かされたり、身に付けたいスキルのトレーニング方法を教えてもらったりすることは、新しい知識を得ることに他ならないのだけれど、実は無駄なものをそぎ落としてよりシンプルになる過程なのかもしれない。「得ること」と「そぎ落とすこと」は一見正反対のように思えるけれど、実はとても似ているな、と著作を読みながら考えた。

「人生って、足し算じゃなくて引き算かも。余分な物をそぎ落として、埋もれちゃってよく分からなくなっている本当の自分に出会うんじゃないかなぁ。」
 昨日、久しぶりに会った友達とあれこれ話す中で、私はこんなことを言った。
 セミナーに出たり、本を読んだり、人の考え方に触れたり。いろんな経験をして、ある分野の、生き方の、自分というものの「核の部分」に出会う。今村さんの速読講座も、新しいスキルや知識を得る「足し算」のようで、実は要らないものを手放す「引き算」だったのかもしれない。ずっと持ち続けてきた「要らないもの」とさよならをする作業は、ちょっと寂しい感じもするけれど、心地良くもある。それは、シンプルになったぶん、大切にすべきものをより大切にできることに繋がるから。
 これからもたくさん経験をしてスキルや知識を身につけたい。それから、少しずつ少しずつ、本当の自分に出会っていけたらと思う。


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『1日集中! 速読力トレーニング』
今村洋一 著

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4756912567/asukgcojp07-22

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チューニング [コラム]

 端正な顔立ちの若い精神科医は、にやりとしながら言った。

「昔からね、統合失調症の人たちって、未来を読む力があるんですよ。」

 未来を読む? 医者という職業に似つかわしくない非科学的な響きが、返って私の興味をそそった。そういう私の気持ちを見抜いたかのように、彼は話を続ける。

「昔の統合失調症の患者さんたちって、『電波が送られてくる』とかよく言ったでしょ? 見てください。今そういう世界が現実化して、携帯をはじめいろんな電波がそこら中飛び交ってるじゃないですか。現実になっちゃったらね、彼らはもう興味を抱かないんです。今じゃ『毒電波が』なんて言う患者さん、ほとんどいないでしょう?」

 そういえば、「電波系」なんて言葉はすっかり死語になっている。しかしこの先生は、統合失調症患者には予知能力があるとでも言いたいのだろうか? そう思ったけれど、まるで怖がりな人を相手に怪談話でもするかのように愉快そうに話すこの「科学の専門家」の真意をつかみかねて、そんなふうに直接的に尋ねるのを憚った。私は着慣れない白衣の裾をいじりながら、すばやく頭の中で言葉を検索して、わざとちょっとおどけてこう言った。

「じゃあ、最近の傾向として、患者さんはどんなことを言うんですか? それが分かったら未来予想できて一儲けできますね!」

 今度は先生の方がうーん、と何かを検索するような表情をして、

「そうだな、頭の中に直接言葉が届くって言う患者さんはいるね。メールが頭に直接届くみたいに。」

 なんだ、それって昔からあるただの幻聴じゃないの。そう思って私はがっかりした。それと同時に、ちょっと恥ずかしくなった。がっかりしたってことは、私は先生の返答によって未来を覗けると思っていたことを意味するのだから。私っていつまでも「ドラえもん」の世界を信じる子供みたいだ。でも本当は、自分がいつまでも子供でいたがっていることを私は知っている。糊のきいた白衣に身を包んでいるこの瞬間も。

「じゃあ、未来は頭にコンピュータが埋め込まれちゃうのかしら。」

「そうかもしれないね。」

 落胆を表さないように、私は適当なことを言い、先生も適当に話を合わせた。


 平凡なある日、あまりの平凡さに重く沈んだ気分をどうにかしたい気持ちで、田口ランディの小説『コンセント』を読んだら、先日の医局でのこんなやりとりを思い出した。『コンセント』は社会問題と心理学とスピリチュアル世界がごちゃまぜになったような小説だ。引きこもりだった兄が死に、その部屋にはコンセントに繋がれた掃除機がぽつんと残されていた。そのときから死臭を嗅ぎ分けられるようになった主人公の女性はカウンセリングを受け始める。ストーリーは展開し、心理学を超えたところにあるスピリチュアルな世界を描き出す。
 もしかしたらシャーマニズムは形を変えて、現代に引き継がれているのかもしれない。そして精神科医のあの先生はそれを見越して、「患者」として診ている人たちの「能力」を買ってあんなことを言ったのではないか、と私は思った。いや、それこそ突拍子もない「電波な」考えかもしれないけれど。

 それでも、私はちょっと救われた感じがした。
 世界との「チューニング」のやり方が、人とちょっと違う、そんな人たちはいるんだ。いていいんだ。人よりたくさんのものを感じ取りすぎてしまって苦しくなることは、短所なだけじゃない、何がしかの意味を持っている。ややずっしりとした小説だったけれど、重かった私の心はずいぶんと軽くなったみたい。

 やっぱり小説っていいな。
 私もきちんと「何者か」になり、「何か」を表現できたら、と思う。

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意味づけ [コラム]

 友人の結婚式に参加するために帰省しようと新幹線に乗っていたら、発車して間もなくアナウンスがあった。
 「人身事故により、停車します。警察が実況見分を行うため、現場に向かっております。発車にはかなりの時間を要することが見込まれます。お急ぎのところ、大変ご迷惑をおかけします。」
 満席の車内からはいくつものため息が起こり、「迷惑だな。」というつぶやきが漏れ聞こえた。私はしかたないな、と思いながら東京駅で買ったばかりの新書を開いて、ふと隣の席に目をやった。
 あれ……? 隣の方が読んでる本、私のと装丁がずいぶん似てる。あれ……? 章のタイトルも同じ。

 「あっ、同じ本読んでる。」
 思わず声に出してしまった。隣の席の20代半ばと見られるお兄さんは、本を見比べて「本当だ。」と言った。
 「僕はこれから、友人の結婚式に行くところなんですよ。」
 「えっ、私もなんです。」
 他にもたくさんの共通点が見つかって、私たちは静かに、でもたくさん盛り上がった。ため息で埋め尽くされた車内、私たちの2人掛けのシートの周りだけ、小さくパン!と音がしたみたいにモードが変わり、ほんわかとした明るい雰囲気が漂った。結局のところ新幹線はずいぶんな時間停車したけれど、そんなことはちっとも気にならなかった。

 「おかげさまで楽しい時が過ごせました。」
 そう告げ合って新幹線を降りたときには既に在来線の終電はなくなってしまっており、父がわざわざ新幹線の駅まで車で迎えに来てくれた。早寝の父はいつもならとっくに寝ている時間なのに。そう思ったら感謝の気持ちがわき起こり、私は何度も「ありがとう」と言った。前に連なる車のテールランプが優しい色に見えた。

 人生に偶然はない。起こること全てに意味がある。そんな言葉を最近聞き、きっとその通りだろうな、と思ったけれど、また一方で、起こることに意味づけするのは自分自身なのかもしれないとも考えた。新幹線が止まったことを不満に思いながら帰るのも、そこで過ごせた豊かな時間にフォーカスするのも自分次第。終電を逃してしまったことに不平を言うのも、迎えに来てくれた父の愛を確認することができたと感謝するのも自分次第。ともすればネガティブに思えるできごとには、教えがいっぱい詰まっている。感情のコントロールは私にとって時に少し難しいけれど、何かに意味づけをするのは自分自身であり、人生を作るのは自分自身なのだということを心に刻み、これから過ごす時を豊かなものにしていこうと思った。そんなふうに思わせてくれた新幹線でのハプニングに、感謝したい。


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小さな部屋の外で [コラム]

 私は仕事で、「問題」を抱えた子供たちの話を聞いている。学校のこと、家族のこと、生活の中で感じていること、失敗から学んだこと・・・。話を聞くための狭い部屋の中で、子供たちは、いろいろと考えを巡らせながら、自分自身のことについて私に答えてくれる。そんなやりとりの中で、私は子供たちの思いや、問題の原因、もっと大きく言えばこれまでの彼らの人生を理解しようと自分なりに努力する。そして、子供たちの心の一端に触れることができたと感じるときは、自分の世界が広がり、想像力が少し鍛えられるように思う。

 先日、町中で、自分が担当した子を偶然見かけた。それはもう、心が軽くパニックになるくらい、どきっとした。ちょっと無表情で物憂げだったのは、私が会ったときと変わらなかったけれど、話を聞いたあの小さな閉ざされた部屋の中じゃなく、外の世界と繋がっているあの子を見たことは、私にとって衝撃だったのだ。あの子の日常に実際に出くわし、あの子の生活がリアルに伝わってきて、私はうろたえさえした。「想像」の世界でしかなかった誰かの日常を、「現実」に目の当たりにすることは、こんなにも心を揺さぶることなんだ。私はなぜだか少し泣きたいような気持ちになって、足早にその場を通り過ぎた。

 もちろん、私があの小さな部屋の中で聞いたことだけが、その子の全てではないということは分かっている。友達や親の前で見せる顔は、また違うのだろうということも分かっているつもりだ。子供たちとの会話の中で、私はそれらを想像するだけ。ただ、それだけしかできない。だからこそ、理解に近づこうと想像し渇望していた「小さな部屋の外での彼らの一面」が現実に目の前に表れたとき、私はあんなにも動揺したのかもしれない。生の情報は、ふわふわとしたイメージとは異なり、突然私の心をざらりと触っていった。

 ぼんやりと、あの子の将来を考える。やっぱりそれは単なる想像の世界であって、もしあの子に、いつか何らかの形で出逢ったとき、私はきっとまた同じ衝撃を味わうのだろう。笑顔の未来だといいな。そう思いながら、もしかしたらの偶然の再会を楽しみにできる今を考えると、ざらりと心を触ったあの現実に、私は少し成長させられたのかもしれない。

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ただいま。 [コラム]

 自分は帰属意識の欠如した生き物だと思ってきた。幼い頃はオリンピックで自国を応援する母の行動が不可解に映ったし、学生時代は愛校心とは無縁の生活を送ってきた。むしろ何かに所属することに居心地の悪さを感じ、いつでも自由でいたいと思っていた。地域交流活動の意図も分からなかったし、連帯責任なんて言葉、大嫌いだった。そのくせ社会に媚びるようなところがあって、妙に処世術にだけは長けている、そういう子供だったように思う。体は縛りつけられているのに、心だけが根無し草。そんなジレンマな生き方は、時に空虚さを伴うものだったけれど。

 そんな私も、年齢を重ねたせいか、故郷に帰るときにはことさらに感慨深さを覚えるようになった。久しぶりに実家に帰ると、心だけじゃなく、細胞のひとつひとつが、「懐かしさ」を感じている気がする。ずっと一緒にいた人や、ずっと食べてきた母の手料理、ずっと育ってきた家、ずっと吸ってきた茶畑が作る空気。そういうものは、もしかしたら細胞の中にまで入り込んでいるのかも知れない。「細胞は28日周期で生まれ変わる」なんていう知識は置いておいて、久しぶりの実家の畳にごろんと横になりながら、私はそんなことを考えた。

 まだ小さくて無力だった自分を支えてきてくれたもの。少しずつ成長する自分と一緒に歩んできてくれた人。新しいことを経験して、新しいことを知るほどに、過去に与えられてきたものに愛しさがこみあげてくるのはなぜだろう。

 自由を何よりも愛する私が何度も帰る、過去のしがらみだらけの場所。窮屈だと思ったこともある。行く手を阻まれたと感じたこともある。それでもかなぐり捨てられなかったのは、確かに大切なもの。

 自分の根幹を形作ってきた大切なものに会うために、人は帰るのだろう。生まれた場所に。
 「ただいま。」= Just Now.
 「今」を背に負いながら、再び、過去に会いに。


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「使われるものと、愛されるもの」 [コラム]

日誌に書かれた独白を見て、泣いた。
どうしようもなく、涙、ぽたぽたと、止まらなくて。


相手に伝えるための言葉は、どこまで真実を伝えるだろう。

相手に伝えたくもない言葉を、私はどれだけ発してきただろう。




向き合ったら、伝わらないこともある。伝えられないこともある。


「独白」には、その人の「本当」が現れている。
気づいていたはずなのに、気づかないふりをしていた「本当」が。


言葉は、思いを伝えるものなのに、ときに、言葉に翻弄されてしまう。
自分自身の気持ちに、もっと、自覚的でありたいと思う。
そうしたら、正しい言葉を使えるようになるだろうから。




     ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ 


今日、タイの友人からもらったメールが良かったので、ちょっとアレンジして和訳したものを載せます。自戒の念をこめて。



     ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ 



「使われるものと、愛されるもの」


ある男が買ったばかりのぴかぴかの車を磨いていたところ、4歳になるその息子が近づいてきて、石でその車にキーキーと引っかき傷を付けた。
男性はかっとなり、思わず子供の手を何度もぶった。自分の手にレンチが握られていたことも忘れて。

幼いその子供は、複雑骨折のために指をすべて失ってしまった。



病院で、子供は、痛そうな顔をしながら、男を見上げて言った。

「パパ、僕の指は、いつまた生えてくるの?」

男は心を痛め、何も言うことができなかった。そして、車の元に戻って、何度も何度もその車を蹴った。

自らぼこぼこにしたその車の前に座って、ふと見ると、ついさっき子供が石で付けた引っかき傷が目に入った。車のドアの片隅に、子供は覚えたての字で、こう記していたのだ。





「パパ、だいすき」




怒りと愛は、際限がない。

美しく、慈しむべき人生のために、後者を選ぼう。

そして、このことを忘れないで欲しい。




“物は、本来使用されるために存在し、

 人は、本来愛されるために存在する。”



今世界では、このことが混同され、人が使われて、物が愛されている現状がある。

どうか、このことを忘れないで欲しい。


“物は、使われるために存在し、

 人は、愛されるために存在する。”


思いに気づきなさい。それは、言葉になる。
言葉に気づきなさい。それは、行動になる。
行動に気づきなさい。それは、習慣になる。
習慣に気づきなさい。それは、人格になる。
人格に気づきなさい。それは、運命になる。


間違った使い方をしてしまうのは、気づきが伴われていないから。
注意を向け、ただそこに、「本当」のところに、戻ればいいだけ。
それだけで、人は幸せになれるし、幸せを分け与えることができる。
だって、あなたは、本来、愛されるために存在するのだから。



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白と自由と。 [コラム]

東北出張の日は、奇しくもその地の観測史上最大の積雪量を記録した。
新幹線が北に向かうごとに、車窓から見える風景は白さを増していき、それは目がくらむほどだった。
そのまぶしさは、白が、すべての可視光を反射する色だということを思い出させた。何も、吸収せずに、ただ跳ね返す。


屋根を真っ白にしたミニチュアのような家が、窓のフレームから、びゅんびゅんと飛んでいく。私は淡い怒りと悲しみと愛着がごちゃまぜになったような気持ちに覆われた。

今回の出張先のクライアント(ではないけれど、便宜上そう呼ぶことにする)のことを考えるたびに、私はそんな気持ちになる。自分の中の何かが投影されているのだろうか。自分の心のフィルターの存在を感じる。私はそれに束縛されている。ああ、なんて面倒くさいんだろう。感情なんてものを抱くのは、まっぴら。感情を持つことが、人間を人間たらしめているというのならば、私はいっそ「人間」でなくたっていい。そんな極端な気持ちになったのは、今回が彼女と会う最後の機会だからだろうか。



     ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ 




駅を降り立つと、50センチ以上も降り積もった「白」が、あらゆる色を覆い尽くしていた。吹雪と寒さに倒れそうになりながらも、私はちょっと救われたような気がした。白には、そういう力がある。


「白は、何色にも染まれる。
 黒は、何色にも染まらない。」

人はそんなふうに言う(実際、裁判官の法服が黒いのは、「何にも染まらない」象徴なのだそうだ。)けれど、光の反射を考えたら、まったく逆だ。

白は、すべてを跳ね返す。
黒は、すべてを取り込む。

何かに触れ、受容し、感情を生じさせる。そうやって人間は、黒くなっていくのではないだろうか。
何かに触れても、それをそのまま跳ね返すことができたら、人は、白のままでいられるのではないだろうか。



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「自分のことしか考えてなかった。」
と自戒するクライアントに、私は、
「それじゃ足りない。もっともっと、自分のことを考えてください。」
と返した。

クライアントは、物語や映画に感動するみたいな泣き方をした。落ち着いて、自分を客観視するって、そういうことなのだろうか。そうだとしたら、私は少しは、彼女の自律を助けられたのかもしれない。




誰かが、からかうように「大物だね」と言った。

私は、

「大物なんかじゃありません。小物でもありませんけど。私は、ただの、只者です。」

と冗談めかして返した。

そして、言い終えて、心からそうありたいと思った。
何にも吸収せず、ただ、それを、そのままに返すことのできる、「白」みたいな存在。そうなれたとき、私はきっと、本当の自由になれるのだと思う。
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「お母さん」と「しこり」の雪解け [コラム]

 ふとしたきっかけで、ちょっと怖いおばさんと1週間あまり生活を共にした。このおばさん、「最近の若者は老人を大事にしない」なんてぶつぶつ言いながら、いつも何かに怒っている。私は彼女といると妙に緊張してしまって、「お姑さんと暮らすってこういう感じかしら」なんて密かに思った。ぷんぷん怒って、言いたいことをずばずば言っているこの小柄なおばさんは、とても強い人なのだろうと、私は初め考えていた。


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 そんなおばさんと生活を始めて5日目のこと。おばさんは、夜、しんみりとした口調で、「本当のこと言うとね、私ね・・・」と、おばさん自身の人生の苦労、生活の大変さ、心身の辛さや寂しさを語り始めた。どうして私にそんなことを打ち明けてくれるのだろうと思い、「強い」おばさんが突然見せた「弱さ」に戸惑ったけれど、話を聞いているうちに、私は、はっとした。怒りのエネルギーを放出している人は、哀しみとか辛さとかやり切れなさとか孤独感といった、触れたら思わずぎゅっと抱きしめたくなるような何かを殊更に抱いているのではないだろうか。「世間」とか呼ばれるような何かと戦わざるを得なかった人たちの心にできてしまった、「しこり」のようなもの。本当はその「しこり」に触れて欲しいのに、いつの間にか身に付けた戦闘モードの壁がじゃまをして、たやすく他人に触らせない。そしてピリピリとした戦闘モードは更に「しこり」を大きくしていく。そんな構造が、垣間見えたような気がした。



 私は、世間と戦う必要なんてなかった。ずっとぬくぬくとした日の当たる場所にいて、誰かに、何かに守られ、社会のメインストリートを歩かせてもらってきた。そして、差別や偏見や貧困のある、裏道とか細道とかサイドストリートのような世界があるなんて、(頭では分かっていたはずなのに、)どこか信じられず、現実味を帯びて考えられずにきた。私の知らない世界のなんと多いことか。私の見方は、なんと偏狭であったことか。おばさんはあの夜、私におばさん自身の「しこり」に触れさせてくれ、そのことに気付かせてくれた。


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 私はいつの間にか、おばさんのことを「お母さん」と呼んでいた。「お母さん」の手をマッサージしてあげながら、「今ここ」を生きる大切さについて語り合った。そうなんだ、本当にそうなんだ。過去を悔やんでいらいらしたり、未来を憂えたりすることは、ただの幻なんだから、手放してしまえばいい。そして、今ここを大切に生きればいいと、「お母さん」と確認し合った。「お母さん」も私も、今ここを生きることで、「しこり」をなくしていきたいって思っている。具体的に何かを話し合ったわけではないけれど、バックグラウンドの全然違う私たちは深く共感し合った、感じがする。


 翌日の瞑想中、私はある人にされた「酷い仕打ち」によってできた大きな「しこり」が、すーっと無くなるのを感じた。上手く言葉に出来ないけれど、1年以上にわたって私を苦しめていたあの「しこり」が、見事なほどきれいに溶解していったのだ。「しこり」を作ったのは私自身、そして私を悩ませていたのも愚かな私自身だった。
「お母さん」と過ごしたあの日々から2ヶ月が経過しようとしているけれど、その後、私はあの「しこり」に苦しむことはない。「お母さん」が「今ここ」を生き、「お母さん」の「しこり」も雪解けの時を迎えるよう、心から祈りたいと思う。

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空っぽの自分 [コラム]

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ロンドンに住んで10か月。雨がちなこの国で、瞑想ばっかり毎日やって、リトリートにもたくさん出かけた。

そんな折、突如頸部に2~3cmの腫瘤ができて、気持ち悪かったけれどそのうち治るかな、なんて放っておいた。あまつさえ、スコットランドまで飛んで、瞑想指導者の養成コースを受けていた。そのさなか、夫が突然連絡してきた。

「ごめん。このメッセージ見たら、すぐ電話ください。」

普段、こんな風に連絡してくる人じゃないから、何か大変なことがあったのだろうと、バクバクする胸を抑えるような気持ちですぐに電話をした。

「落ち着いて聞いてほしいんだけどね・・・。」

受話器から聞こえる声は深刻で、不安が高まる。お義母様の体調に変化があったのかしら。

「あのね、知り合いの血液内科の先生に聞いたら、その、・・・君の、しこり、ね。とても、悪いものかもしれない。一刻を争うから、すぐに帰ってきて。今すぐに、ロンドンに戻って来て。そしたらロンドンから日本行きのフライト、僕の方で取るから。」

言葉を慎重に選ぶように、それでいて少しまくしたてるように、夫が話すのを聞きながら、私は自分の鼓動が収まるのを感じた。そして、

“なーんだ、そんなこと。”

私は、自分の心が確かにそう言ったのを聞いた。

なーんだ、そんなこと。私が、「終わる」かもしれないなんて、そんなこと。
人のことだと慌てふためいてしまうのに、私は自分の生死に無頓着みたい。うすうす感じてはいたけれど。

「でも、瞑想教室もあと1~2日残ってるし・・・。」

夫の声は少し震えていて、それと対照的にのんきな自分の声が、間抜けに響いた。

「検査して、もし大丈夫だったら・・・っ、どんな埋め合わせでもするから。世界一周旅行でもなんでも連れていくから。とりあえず戻ってきて。手遅れになって、君がいなくなったら、僕どうやって生きていったらいいかわからないよ・・・!!!」

この感じ、もう戻るしかないな。私は抵抗を諦めて数時間後に出発するチケットを取った。スコットランドのインヴァネス空港に着いて、少し落ち着いたところで夫にメッセージした。

「私、何の病気かもしれないの?」

メッセージはすぐに既読になり、少し間をおいて、返信があった。

「その話は、会ってからの方が、良くないかな・・・。」


 ◆  ◆  ◆  ◆  ◆  ◆


そんなわけで、あっという間にロンドンに引き戻された。頭の中では、「もー、しこりあるって言っても一週間もほっといたじゃん!急に慌てだして、なんなのこの人。」とか、「直前の片道航空券、高すぎ!」とか、深刻みのない不平不満。

近くのクリニックにかかると、ドクターは、少し顔を険しくし、「君としては、どんなことを予想しているの?」と聞いた。どんな疾患の可能性があるかを示すのはお医者さんの役目のひとつじゃないの、と私は心でつぶやきながら、「まぁ、その、癌・・・とか。」と答えた。ドクターは私の言葉を否定せず、険しい表情のまま、「うん、すぐにCTと血液検査をした方がいいですね。大きな病院を紹介しますから。」と言った。

翌日には羽田行きのANA機に乗っていた。「一人で平気だから。ちゃんと病院行けるから。」と言う私に、「僕の身にもなって。君が検査を受けている間、ひとりでイギリスで待っているなんて、想像しただけでおかしくなりそうだよ。」と言って譲らなかった夫と一緒に。

私はあきれるくらい冷静だった。そして、飛行機の窓から雲を眺めながら、何かやり残したことあるかな、と考えた。

・・・別に、ない。
せっかくイギリスにいたから、もうちょっといろんな地方に行きたかったな。なんて、それくらいしか思いつかなかったから、びっくりする。北欧クルーズしたい?オーロラが見たい?九州のななつ星に乗りたい?それとも、夫が提示してくれた世界一周旅行?いや、豪華旅行にも、とりたてて興味あるわけじゃない。どうしても見ておきたい風景は、これといってない。すっごく食べたいなんて物も、特にない。あの仕事がしたい、なんて「情熱」も「渇望」もない。

「死」に直面すると、大切なものが見えるものかと思ったけれど、私の場合、ただただ、空っぽの自分が見えただけだった。悔しさも無念さも葛藤もなくて、涙の一つも出なかった。空っぽの自分。それもまぁ、悪くない。眼下の雲を見ながら、そう思った。
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