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白と自由と。 [コラム]

東北出張の日は、奇しくもその地の観測史上最大の積雪量を記録した。
新幹線が北に向かうごとに、車窓から見える風景は白さを増していき、それは目がくらむほどだった。
そのまぶしさは、白が、すべての可視光を反射する色だということを思い出させた。何も、吸収せずに、ただ跳ね返す。


屋根を真っ白にしたミニチュアのような家が、窓のフレームから、びゅんびゅんと飛んでいく。私は淡い怒りと悲しみと愛着がごちゃまぜになったような気持ちに覆われた。

今回の出張先のクライアント(ではないけれど、便宜上そう呼ぶことにする)のことを考えるたびに、私はそんな気持ちになる。自分の中の何かが投影されているのだろうか。自分の心のフィルターの存在を感じる。私はそれに束縛されている。ああ、なんて面倒くさいんだろう。感情なんてものを抱くのは、まっぴら。感情を持つことが、人間を人間たらしめているというのならば、私はいっそ「人間」でなくたっていい。そんな極端な気持ちになったのは、今回が彼女と会う最後の機会だからだろうか。



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駅を降り立つと、50センチ以上も降り積もった「白」が、あらゆる色を覆い尽くしていた。吹雪と寒さに倒れそうになりながらも、私はちょっと救われたような気がした。白には、そういう力がある。


「白は、何色にも染まれる。
 黒は、何色にも染まらない。」

人はそんなふうに言う(実際、裁判官の法服が黒いのは、「何にも染まらない」象徴なのだそうだ。)けれど、光の反射を考えたら、まったく逆だ。

白は、すべてを跳ね返す。
黒は、すべてを取り込む。

何かに触れ、受容し、感情を生じさせる。そうやって人間は、黒くなっていくのではないだろうか。
何かに触れても、それをそのまま跳ね返すことができたら、人は、白のままでいられるのではないだろうか。



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「自分のことしか考えてなかった。」
と自戒するクライアントに、私は、
「それじゃ足りない。もっともっと、自分のことを考えてください。」
と返した。

クライアントは、物語や映画に感動するみたいな泣き方をした。落ち着いて、自分を客観視するって、そういうことなのだろうか。そうだとしたら、私は少しは、彼女の自律を助けられたのかもしれない。




誰かが、からかうように「大物だね」と言った。

私は、

「大物なんかじゃありません。小物でもありませんけど。私は、ただの、只者です。」

と冗談めかして返した。

そして、言い終えて、心からそうありたいと思った。
何にも吸収せず、ただ、それを、そのままに返すことのできる、「白」みたいな存在。そうなれたとき、私はきっと、本当の自由になれるのだと思う。
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